滋賀県長浜市木之本町飯浦
滋賀県観光情報より
標高421m、余呉町との境界にあって「新雪ー賤ヶ岳の大観」として琵琶湖八景の一つに数えられます。 かつて、この山中において「賤ヶ岳の合戦」が繰り広げられ、歴史にその名をとどめています。 賤ヶ岳の合戦は、戦国時代に本能寺で倒れた織田信長の後を狙う豊臣秀吉と柴田勝家の主導権争いで、激しい戦いの後に累々と屍が重なり、武具を洗い流した余呉湖の水は真っ赤に染まったといいます。
この合戦で勝利を収めた秀吉は、後に天下人となりました。 また、秀吉の武勲者として史上に名をとどめた「賤ヶ岳の七本槍」の活躍は、このときの武勇談です。
標高差:280m
賤ヶ岳への感想
今回、歩いた国民宿舎からの道は歩き易く、雑木林の中、雰囲気がとても
良いと感じた。 山頂からの展望は最高でハイキングとしてもう一度来てみた
い山となった。
恐るべしツアーハイカー
今日、運悪く遭遇してしまった和歌山からのウォーキングツアーハイカーは
大型バス11台、総勢500名弱の人数で来ていると聞かされた。
421mの低山とは言え、普段、山歩きをしたことも無い連中が革靴、運動靴で息を切らして登ってくるのは異様な光景だった。 登山口近くでも
”山頂はまだですかーぁ”と多くのハイカーから聞かれた。 ”まだまだですよ〜”と答えると一様にうんざりされていた。 山歩きをなめた連中ばかりだった。
『関西百名山』 琵琶湖と余呉湖に挟まれた歴史とハイキングの山。
コースタイム 登り:31分、下り:25分
国民宿舎 ”余呉荘”前から見た ”余呉湖”。
生憎の曇り空であったが、意外にも水も風景も綺麗だった。
12時41分に ”余呉荘”横の登山口から歩き始める。
どこかしこにウォーキングラリーのコース案内が張ってあり
”賤ヶ岳”もウォーキングラリーのコースに入っている様だった。
国民宿舎 ”余呉荘”の駐車場に車を停める。 余呉湖畔にはどこかの
ウォーキングラリーハイカーが沢山歩いていて車の走行を邪魔していた。
登り始めると次々と ”ジャマー”が現れる。 抜いても抜いても
切りが無いほどの人数だった。 えらい者に遭遇してしまった。
登山道の全てがハイカーに埋め尽くされた感じだった。
今回は ”余呉湖”側からの最短コースを選んだが、琵琶湖側から
も登れ、観光リフトを使って更に簡便に登るコースもある様だ。
登山道はよく整備されており、勾配は緩く設定されているが、前を歩く
”ジャマー”を抜くのに必死になってしまいペースが上がってしまった。
”ジャマー”を何人抜いたであろうか、お陰で31分にて
”賤ヶ岳”(421m)に着くことが出来た。
山頂の展望台には ”ジャマー”がうようよしているので、混雑を避け
て奥のベンチで休憩することにしたが、直ぐにここにも攻めてきた。
山頂は平坦であるが、南北とも景観は良好であった。
山頂より北面に広がる ”余呉湖”を見る。
見通しの良い秋晴れの日にもう一度来てみたい感じだ。
同じく山頂より南面の ”琵琶湖”を見る。
肉眼では ”竹生島”も見えていたが、この霞みでは写真には載っていない。
”賤ヶ岳”は古戦場らしく歴史的な施設が多いが、この類には
興味無く、”武者像”の写真を撮ったのみ。
歴史が好きな人には堪らない山なのかも知れない。
”ジャマー”で一杯の展望台に割り込んで ”琵琶湖”の北端部を見る。先輩から、昔、ヨットでこの辺りを周航した武勇伝を聞かしてもらう。
展望台より琵琶湖の東部、”近江盆地”を見る。
この下側にリフト乗場があるようだ。
登山道にベタベタ張るのはしょうがないが、
ツアーが終わったら片付けておいてね。
しずがたけ
15分程で琵琶湖側からの合流点である ”飯浦越”に着 く。
ここにもバリバリの関西弁のおばちゃんが沢山休憩しており、
”あんたら登りはこっちやでー!”
と求めもしないのにアドバイスを頂いた。
本日の午前は同じく関西百名山の ”横山岳”に登り、午前中に下山することが出来たので、
帰りの駄賃として ”賤ヶ岳”に登ってみることにした。 生憎、余呉湖、賤ヶ岳周辺では
どこかが模様するウォーキングラリーが行われており、沢山のハイカーと出会うことになった。
2024年8月16日改定
JR木ノ本駅から観光リフトの山麓駅までは
無料送迎バスが出ている様である。